金円窓寸松庵サイズ色紙に“米を研ぐ”と、
楷書で書いて台所へ。
これで又ひとつメモが増えた。
我が家には、いたる所に覚書が存在する。
カレンダーにはびっしりメモが貼られているし、
冷蔵庫の横にも、ゴミ出し日を曜日ごとに書いたマグネットがくっついている。
何か行事があると、
その準備、用意するもの、心配り、連絡事項など、こと細かくメモし、
入浴中思いついたこと、ベッドに入ってから閃いたことなどなど、
記入する。
個展の折は言わずもがな。
とにかく、ア、そうだと思ったことは文字にしておかないと、
気が済まない。
というより、そうしておかないと忘れるのだ。
次から次へとアイデアが飛び出してくるかわりに、
ドンドン ヒョイヒョイ消え去っていく。
つなぎとめる手立てはメモのみ。
ちょっと前までは、簡単な走り書きでも、
その時何を考えていたかがすぐ甦ってきた。
しかしこの頃はそうはいかない。
メモを見ても何のことかよく解らないことがある。
そこで、メモというには・・・と
思われるような長文になったりする。
マア、“米を研ぐ” これぐらい明快なら、
思いをめぐらせる必要もあるまい。
こうしておけば、“おかずは出来上がったのに、ごはんがない”
といって、慌てることはなくなるはず。