円光寺に美術館をという話はきっぱりあきらめた。
しかし、美術館を創ることを断念した訳ではない。
とはいえ、
事が大きいだけに、どこから手をつけてよいか、
円光寺がダメとなった時点ではわからなかった。
私はいつもフイに、何かを思い立つクセがある。
3日前、
「そうだ、現実のものにするには設計図だ」と!!!
娘の水墨画の師の濱中応彦先生は、建築家なのだ。
何で今まで思い出さなかったンだろう。
早速今日お願いに伺った。
すぐ行動するのも私のイイトコロ?
「個展の予定が3ツもあるんです」
といつもながらお忙しい。
私の話をじっくり聞いて下さり、
「もう少し待って頂いたら、お引き受け致します」
とのこと。
「設計図」という言葉の中には、
未来とか、創造とか、行動的でいかにも楽しげなニュアンスが
いっぱいつまっている。
中学1年生の秋だったか。
私は男子を超えて選抜され、学校代表で
図面描きのコンテストに出場した事があった。
工業用の図面を、早く、美しく、正確に描くことを競う、
中学生で初めての大会であった。
15校ぐらいの代表者、私を除いて皆男子であった。
惜しくも3位の成績であったが、
付き添いの先生にはよくやったと、褒めてもらったっけ。
何しろケント紙なんて、それまで見たこともなかった時代の話。
以来、設計図というものに特別な思いを持つようになった。
それから44年を経て、夢の設計図が出来上がる。
このワクワク感、何にたとえればよいだろう。
明日から春、
3月。