大阪から文化を発信するのは、なかなか難しい。
ギャラリーひとつ例にあげても、
「ここはいい」と思うところがまだ見つからない。
銀座には、あんなにたくさんの画廊があるのに…
とちょっと悔しい。
娘が師事する濱中先生は、
郷里の山口に毎月足を運ばれて、指導に当たり、
水墨画芸術を広めておられる。
私も、円光寺という私の作品の拠点が出来上がったので、
ここを中心にと思っていた。
しかし寺には宗派ごとに教義というものがあり、
寺内でお金を扱ってはいけないということであれば、
円光寺という場所は、諦めるより他ない。
建物は何であれ、維持するには管理費用が必要となる。
入館料が、たとえささやかでも入れば、
運営していけると考えていたが、ちょっと甘かった。
マア まだ5年や10年は生きていられるだろう。
その間に、場所と資金を確保しておけば、
もし私が逝ってしまっても、
娘が建ててくれるであろうと思うことにした。
いつだったか、人は2度死ぬという記事を目にした。
1度目は、本人の死。
2度目は、その人を思い出してくれる人達の死、
だそうな。
「画家はいいナァ、生きた証を絵に刻みつけることが出来るから」
と、羨ましがられたことがある。
確かに。
私が死んでも、娘が跡を引き継ぎ、
2人がこの世から消滅した後も、作品はずっと生き続ける。
娘よ、
母は偉大ではないが、
やろうとしている仕事はけっこうデカいよ。
「後はよろしく」
ウーン、この言葉、いつになったら言えるのかナァ。