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久し振り!!

同じクラスでお互いに一目置いていた間柄のAさんが、
息子の嫁の母であるKさんと一緒に来阪。
Kさんは円光寺ツアーの折、握手をしたというだけの知り合いだが、
3人共同じ年齢。

ナンバまで迎えに行った時点で、すぐ打ち解けた。
嫁の母と旅行をするというのも珍しい関係だと思うが、
Aさんとは、そういう人なのだ。
誰とでもお友達になれる。
もちろん、Kさんがおっとりした感じのいい人であるせいとも言える。

近くのホテルに泊まった翌日、わが家へ。
私は彼女達を迎えるため、ベランダ・リビング・玄関を花で飾ったから、
ベランダは外からも見て欲しい。
真下に来たら手を振るから見上げてね、と言っておいた。

やって来た。電話が鳴る。
ケイタイってこんな時素晴らしい。
「ここよーっ」と電話に向かって叫ぶが、
なかなかわからなかったというところも、又楽しい。

それから3時間ほどよくしゃべり、よく笑い、
昼食時はホテルに戻って、又しゃべり笑う。
帝国ホテルでお茶をしようということになり、
歩いていると、「この道今朝通ったョ」とAさん。

ナント、5時起床で大阪城へウォーキング。
体操していたから仲間に入れてもらい、
付近に住む親切な男性に、この辺を案内してもらいながら、
帰ったという。
Kさんが「どこへ行ってもこの調子」と笑う。
学生時代から社交的ではあったが、さらに磨きかかった様子が頼もしい。

「気分がいいナァ、この道緑がきれいヤワァ」
ゴキゲンの彼女は、得意の歌が出る。
「Kさん、高音部、私は低音部、いくよー」
私にも、というが、歌詞が時々頭から消える。
オバサン合唱隊は、周囲に咎められることもなく、
無事帝国ホテルへ。

ショッピング街を見て歩き、「カラカラ」でエプロンを手に入れた。
そうだ、ささやかなおみやげに食パンを渡そう。
“帝国ホテル”と焼印が入っていると説明すると、
とても喜んでくれた。
ホテルのバスに乗った2人に、見えなくなるまで手を振った。
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半世紀?

「私のことを覚えていますか?
小学校3年生の頃(大昔のことですが)、大阪へ引っ越したので
記憶にないかもしれませんね」

こんな文面のFAXが届いた。
名前を見ても思い出せない。

私の電話を教えたというOさんにTELをして、確かめた。
彼女の話で、9歳の私が甦り、FAXをくれた由美ちゃんを連れてきた。
ポチッとした瞳で、えくぼがあったような気がする。
笑顔のかわいい子だった。

何かの用があって徳島へ行くたびに、
私のことを思い出してくれていたらしい。
と言うより、彼女の記憶の中の同級生は私1人で、
その他の人は思い出せないとのこと。

こりゃ大変だ!
そんなうれしいことを言ってくれる人のことが
何も思い出せなくては、がっかりだろう。
と思った途端、又しても9歳の私が出現。
その子は、小さな紙切れを持って読んでいる。

由美ちゃんは、引越しの前日、私の家までサヨナラを言いに来てくれた。
あいにく私は留守。
がっかりした彼女は、メモを知人に預けて大阪へ。
何が書かれていたのか推測するまでもない。
9歳の言葉で、「元気でね」と伝える走り書きであった。

“お別れを言いに行った”と彼女が、
“手紙をもらった”と私が、
電話中に各々思い出した。

「玲子ちゃんは、その頃アイドルだった小鳩くるみに似てたョ」
そう言えばその子に似たヘアースタイルだった。
でもあれは母が毎朝やってくれたことで、
本人はちょっとばかり、気恥ずかしい思いをしたナア。
50年以上も前のことだ。

優しかった彼女は、幼稚園の先生になって、定年退職し、
今は知人の仕事を手伝っているという。
明後日、由美ちゃんと会う。

夏の終わりに

子供の頃は、理解出来ないことや、知らないことがいっぱいある。
知るという努力も、大人ほどはしないだろう。
だから、友達についてどれくらい情報を持っているか、怪しい。

最近、卒業以来の再会を何度か経験した。
円光寺の絵のおかげというのもあり、
昨日の由美ちゃんのように、ずっと会いたいナと
思っていてくれたという例もある。
彼女は私の覚えていたその人であった。

彼らに共通して言えることは、
たぶん幸せな人生を歩んできたのだろうということだ。
穏やかな笑顔と、相手に配慮できる優しさを持ち合わせている人達。
子供の頃にはわからなかった魅力が、染み出ているような気がする。

年を経て加わったものか、
もともと持ち合わせていたものに磨きがかかったのか、
40年、50年も会っていない私には解らないが、
これから先、会う機会があればきっと喜んで出かけて行くと思う。

由美ちゃんとは、駅のホームまでも話が尽きず、
又電話するね、と言い合って別れた。

今年の夏は二度フラフラしただけで、なんとか凌ぎ、
人に会いたくない病も、少しはマシになった。
このマンションの、ちょっと遅い夏祭も終わった。
ほんのちょっぴりなら、「はしゃいでもいいかな」と思っている。

同窓会

先輩後輩が一同に会する、出身高校の近畿同窓会に、
久し振りで出席した。

来賓の校長先生が女性だったのが、何とも新鮮であった。
徳島でも最近は珍しくないとかで、
郷里にも新しい風が吹いていることを知った。

今年は出席者が少なく、60名足らず。
親子展の案内状をちゃっかり配布させてもらおうと、
100枚用意していたが、ちょっと拍子抜け。
それでも精一杯の笑顔を振りまいて、広報活動第一声。
「ぜひ御覧下さい」とアピールしておいた。

同級生は6名しかいなかったが、男性3人、女性3人という組み合わせが良かったのか、
このテーブルはけっこう盛り上がっていた。

喋り足りず、全体会の2次会は遠慮して、
ホテルの喫茶店へ場所を移動し、そこでも2時間余談笑。

この席で絵を1枚注文してくれた剛毅な人がいて、
親子展ももちろん、奥方同伴で鑑賞させてもらいますとのこと。

NHK朝の連ドラの「ウェルかめ」にエキストラ出演してる人。
デコポン栽培農家で会社組織にしている人。
羨ましい程幸せそうな奥さん業の女性。
夫を亡くしてから旅行を楽しんでいる人。

学生の間はみんな同じ空気の中でいたのに、
各々に纏うムードは、その道で長い間生きてきた自信が伺える。

私も何らかのオーラを発することが出来たのだろうかと、
楽しかったひとときのことを思い出している。

何年ぶり?

1枚の絵を制作したら、1人でも多くの人に見て欲しい。
そこで、同窓会が終ったら、私の家へどうぞと言って、
ひと足先に帰ってきた。

順路を詳しく書いて渡しておいたのに、
なぜか近くまできて少し手前で降りた人達。
もうひとつのグループは、反対方向へ行ってしまった。
ちっとも指示通りに動かないで、各々に電話をかけてくる。

どうしてこんなことになるのとボヤきながら、迎えに行き、
ここまっすぐ行った突き当りで待っててねと言って、
又別のグループのところへ。
4人いるはずが1人ポツン。
「あとの3人はわかるわかるって行ってしまったヨ」

なにしろみんなお酒が入っている。
「もうっ!」と言うと、
「みんな早くレイコさんに会いたいンだって」なんて
上手いこと言うから、怒るに怒れない。

先のグループと合流して帰ったら、
3人はちゃんと部屋までたどり着いていた。
こんなこともあろうかと、1人先に連れて帰っててよかった!!

テンヤワンヤ、大汗かきかき(私1人が)始まった三次会。

まずは絵の鑑賞から。
各々の言葉で感想を言ってくれたが、
ひとつだけ、“元男の子達”が一斉に行ったことがあった。

それは写真を撮ること。
もちろん、「撮影はOK?」と尋ねるので、
「所有者に聞いて下さい」と答えると、全員「あ、そか、アイツのならいいナ」
となって、パシャパシャやっている。

女達は、顔を見合わせてクスリ。
所有者は満面の笑み。
この絵を所有出来ることを羨ましがってみせたり、
「観音堂を建てろヨ」といったり、
それはもう、賑やかで楽しい人達であった。

卒業以来何十年ぶり、とよく言うが、
在学中にだって話もしたことのない人達ばかりでも、
5分で盛り上がる。

紅顔の美少年達は厚顔のオッサン連中になり、
乙女達も又、今やいずれ劣らぬオバサンぶりを発揮しても、
心は、“あの頃”(私達は、舟木一夫の“高校3年性”年代)に
帰ってゆけるのが、同窓会。

絵の依頼を受けたのも同窓会でのことであった。
ありがとう、幹事さん。





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玉麗

  • Author:玉麗
  • 大阪在住の水墨画家。
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