複雑系は長生き?
もうずいぶん前のことだ。
『こんな時どうするゲーム』が、わが家でのブームであった。
“街でステキな人にお茶を誘われたらどうする?”
“その時サイフに千円しかなかったらどうする?”
“突然顔に大きなホクロが現われたらどうする?”
…と、他愛もないことを娘が問いかける。
私と息子は、トンデモナイ答えを出して、アホくささとオモシロさを楽しんでいた。
そして、よく話題になる
“無人島で超イヤなヤツと2人きりになったらどうする?”
の私の答えが、
「殺す」
だったらしい。
娘はその頃OLだったので、会社でこの話題をすると
「キミンとこのお母さん、カゲキやナァ」
と大受けだったとのこと。
そんなこと言ったっけ?とツラツラ思い出すに…きっと、
“殺したいほどイヤなヤツと2人きりになったら…”
と聞かれたのに違いない。
単純かつ元気であった私は、即座にそう答えたのであろう。
いえ別に、その時該当する人間がいたという訳では、
決してアリマセンので御心配なく。
さて、10年後?の今、同じことを聞かれたとしたらどう答えるか、
想像してみて下さい。
①年の功で、相手と仲良くなる方法を見つける。
②無人島の、アッチの方とコッチの方に分かれて暮らす。
③1人で暮らしていると思うことにする。
残念ながら、どれも正解ではナイ。
私は、何度も書くが単純明快なヒトなのデス。
「デハ お先に」
ザンブと参りましょう。(蛇足ながら、私は金ヅチです)
ところで、コレッて夫婦の関係を表したものとのウワサもありますが、
真意のほどは?
隣人?はエキセントリック?
胃カメラ無事終了の帰路、電車内での出来事。
私の隣に座った人が、「アーッ ツカレタ!」と言う。
私も麻酔と気疲れで、ボーッとしていたのであまり気にならなかったが、
何気なくチラッと見てしまった。
私よりはるかに年上のオバサン。
「ツカレタ」から始まって、ずうっと1人でしゃべっている。
何やらゴソゴソ取り出した。
「恋してもアカンなあ」
ドキッとするような言葉と共に、写真をじっと見つめている。
「明日は九州か、遠いナァ。追っかけもツカレル」
私の近眼にはよく見えないが、歌手なのか白いスーツを着たのやら和服やら、
ひょっとしたらこのオバサンなのか、女性らしき人と写っているのもある。
私がチラチラ見るのなど全くおかまいなし。
「こんなに想っててもナァ」
と、切ない胸の内を写真に呟くのだ。
そうこうしているうちに、「フフフッ」と笑い出した。
何を思い出したのか。
そして又、「アーア」とため息。
「いい男やなナァ」と続く。
若い恋人同士が「2人の世界」を作り、
見ている方がテレる場面に出くわす事はある。
しかし…。
が、やはり恋は年齢に関係ないのだろう。
あのオバサンは、写真の男性がステージに上がると、
キャーキャーと騒ぐのだろう。
そして帰りの電車で、「ツカレター」と1人ごちる。
歌手という人気商売も大変だヮ。
こういう人達の御機嫌を取るのだから。
乗車時間は15分ほど。
落ち込んだり、笑ったりする人が隣にいたおかげで、
いろいろ考えさせられた。
こんな人が隣に住んでいたら大変だろうナァとふと思ったが、
下車するまで一度も私の方を見なかったし、、全く人の目は気にしていない。
案外、カンにさわるようなことはしないのかも。
サムライ
明智光秀を主人公にした小説が、我が家に回ってきた。
織田信長を討ち、3日天下を取った人と俗に言われる。
信長側(あるいは秀吉)から、書かれた本が多い中、「物語」であるとは認めながらも
けっこう新鮮で、ふーん、なるほどと上・下巻一気に読んでしまった。
光秀は死なず、徳川家康の知恵袋天海僧正として生き残ったとの結末は、
思わずニンマリさせられる。
光秀の娘、玉子は細川家に嫁して後、切支丹信徒ガラシャと呼ばれ、
非業の最期を遂げるはずだが、彼女も又、火焔の中から救われ、
一代を全うしたということになっている。
悲劇の女性への憐憫だけではないだろう。
物語を構成する柱のひとつとして、
玉子姫と光秀が率いる忍者の1人、小平太との恋を密かに進めてゆくあたり、
計算された読者へのサービスが感じられる。
著者の経歴を見ると、やはりと思った。
1996年吉川英治文学新人賞を取った「ホワイトアウト」。
あの本もおもしろかった。
歴史上の人物を小説にするのは、易しいようで難しい事だろう。
先達が描いた像をなぞるだけではおもしろくない。
かといってあまりにも変えては、歴史そのものが狂う。
私達の絵にも歴史がある。
椿の描き方、蘭の描法、それらすべてに画家達が苦労した足跡が感じられる。
その描法を習得しつつ、さらに独自のものを創り上げる。
明智光秀の家紋は水色の桔梗。
桔梗にも一目でソレとわかる描き方がある。
アレはいつのことだったか?
笑いにはツボがある。
同じことを言っても、おもしろがってくれる時とそうでない時があるし、
受け手によっても反応は違ってくる。
噺家やお笑い芸人でも、笑いを取るのはなかなか難しいのに、
素人が受けを狙っても、そうそう上手くはいかないだろう。
帝国ホテルプラザの「セーヌの畔」は、
風太を連れて散歩に行って、お茶も飲めるので、時々利用する。
その日も、チーズパンと紅茶で3時のおやつ。
「まだョ」と言われてチンと座り、
目の前に置かれたパンのかけらをじっと見つめる風太。
と、その時、スズメがサッと飛び降りてパンをくわえ、
アッと言う間に逃げ去った。
呆気にとられた風太クン、一瞬あとに「ワンッ」吠えたが、事すでに遅し。
この時の様子を友人に話したら、大受けで、
私もその時の風太の顔を思い出して、2人で大笑いした。
さて最近、アレ、ソレ、アノ、はますますひどくなり、
娘と息子がため息をつく。
今日はちょっとひどかった。
“スペインのサッカー選手「カカ」の移籍金が92億円”
との見出しの新聞を広げて、娘が「スゴイナァ」と言っている。
私は「ヘェーッ」と驚きながらも、それに関する何かを言おうと、
おもむろに口を開いた。しかし…
「…こないだな、……違う、昨日な、 ………今日か」
娘はテーブルに突っ伏して肩で笑っている。
何かおもしろい事を言った訳ではなくても、
ヒョイと自分を省みて、おなかが痛くなる程、おかしい時がある。
9割が大阪のヒト
「どうせ私はブチャーハアですから」
娘が笑いながら言う。
“ブチャーハア”とは、不器用ということだ。
私の母、娘から言えば、「徳島のバアチャン」の語録だ。
“朝曇りのカンパチ”と言っていたのもよく思い出す。
夏、朝曇っているから今日は少しは涼しいだろうと期待していると、
午後カンカン照りになることを指す。
徳島弁?母独特の言い回し?それとも?
郷里の言葉・方言は、若い間は田舎者と思われるのがイヤで、
極力、口にしない人が多いが、
50代になるとカッコつけるのにも疲れてきて、ポッと出たりする。
そのうち気にならなくなり、さらに懐かしく思えるようになる。
ところが、いざ思い出そうとすると、これがなかなか出てこないもので、
大阪の方が長いもンナァとつくづく思う。
「イタ」「カア」
前者は、香川、後者は徳島で、各々「ちょうだい」、
つまり「それが欲しいので、私にください」という意味に使われる。
方言は使わなくても、イントネーションはふっとした折に出てくる。
生徒の中にも、どこ出身とはわからないが、大阪ではないだろうナと思うことがある。
私にも、徳島出身の人が聞けば「ア、同県人」とわかる物言いが残っている。
さてそれを今書こうと思っても、「ウン?何だったっけ」となるあたり、
ふるさとからは遥かに離れてしまったナァ、と感慨深い。
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