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来年もよろしく

教室で、今年最後の日になると、誰からともなく
「どうぞ 良いお年を」と声を掛け合って別れて行く。

一年に一度の挨拶。
日本には美しい習慣、ほっとする言葉の数々があるが、
それらのうちのこれは最たるものであろうと
いつからか感じるようになった。

年を取ると当然若さが減り、元気が失われてゆく。
しかしその分、今まで気付かなかった「珠玉」が見えてくる。

それは遠くで光り輝くものではなく、
身近に、ポッと灯りが点されたような
ささやかなものであったと、ようやく思い至る。

画賛に「明珠在掌」と書く。
まさにこのことであろう。

今年は円光寺で始まり、円光寺で終わった。
何度もめまいを起こし、不調の年ではあった。
しかしこうやってエッセイを綴りながら思い出すと、
一年はアッという間に過ぎていったように思う。

どうやら手本描きも無事終わりそうだし、
ほどほどに良い年であったのだろう。
来年はもう少しだけ、元気になりたい。

今年もあと2日、
皆さん、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
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本日は辛口

エコバッグ、皆さん使っておられますか。
私は使っていません。

スーパーのポリ袋でゴミを捨てるのが、今までのフツウでした。

スーパーのポリ袋をなくしたら、エコになると、
まさか思っている訳ではないですよね。

だって、ゴミは、別のゴミ袋を買って、
それに入れて捨てる訳ですから、
スーパーから無くなっても、世の中からポリ袋が無くなることはない。

レンジでチンする時のラップの代替品として登場した、
丸いポリエチレンのフタ。

お皿にのせて、何度でも使えるって言うけれど、
じゃあ、そのフタは洗わないの?

洗うには、水・洗剤・労力が要ります。
決してエコにはなっていません。

この手の、一見節約・エコムードが、
ちょっと考えると何にも役に立っていなくて、
誰かの商業的思惑の中で踊っているだけという事柄が、
最近目だって増えています。

わが家でも、この種の話題がよく出るのに、
でも他の人に話をしても
「ホント、ちっともエコじゃないねェ」と同意してくれることはないと
娘が嘆きます。

流行・ムードって、多くの人を引っ張って行く力があります。
よく考えもしないで、『私は地球を救っているンダ』
なんて高尚な気持ちに浸ってもらっては、
「ちょい待ち!」と言いたくなります。

ケータイは受信するだけの日。
車に乗らない日。
エアコンを止める日。

その他、各自で考えれば、地球温暖化を防ぐために
ほんの少しではあっても、誰かに効果のある方法が
いくらでもあるはず。

“何となくやってるつもり”が、“何もやっていません”と答える人より
悪いという結果にならないために、
思いついたことをシュミレーションする必要が、
あるのではないのでしょうか。

私達人類は、この星を食い散らすようにして、
延々生きてきました。

地球が再生不能になったら、人間も間違いなく絶滅することでしょう。
私は悲観論者ではありませんが、
時々そんなことを思うのです。

時計事情

わが家は装飾品のほとんどない家で、友人が
「事務所みたいやね」
と表現した。
それはスッキリしているという、褒め言葉でもあったらしいが。

そこへ掛時計をひとつ増やした。

シンプル。
数字が大きく見やすい。
音がしない。

やはりオフィス用となってしまう。

リビングには径45センチの時計がある。
ところがソファで休んでいたら、私の近眼には針が見えない。

休日でも「今 何時?」と時計を気にするヒトだから、
針が何時を指しているのか見えないと、落ち着かない。
やっぱりソファの近くにも1ツ要る、
ということになった訳だ。

ところで、最近の掛時計は電波時計になっていて、
九州と関東のある場所から、電波を流しているそうな。

それを受信して、わが家の時計も勝手に
正確な時刻を示してくれるらしい。
つまり、進んだり遅れたりがない。
しかし、建物によっては受信しにくい場所もあるから、
手動にも出来るという。

店の販売員は
「合わさなくても、すぐ使用出来ます」
と言ったが、電池のフィルムをはずした途端、
グルグル動き出して、変な所で止まって、
又動き出した。

説明書を読んでもよくわからない。
「子供が帰ってきたら…」
と思った途端、
そうだ、放っておけば、勝手に正確になるんだった、と。

「受信しにくい場所だ、って言ってるよ」
帰宅した息子が、時計の赤い点滅を見て言う。
やっぱり手動で合わさないといけないのに、
長針を直接持ってグルグル回すという訳にはいかないしくみ。

「最近の時計、アレもそうだけど、イラつくナァ」
息子は時刻を合わせながら、別の掛時計を示して言う。

ホントに!

便利なものは裏返せば、とても不便。
それに、年寄りには不向きになってます。
プン!プン!

年金年齢

最近まで、クローゼットの中には黒っぽい服ばかりが並んでいた。

ところが、今では黒には全然目が行かない。
赤も着たいとは思わない。

ピンクやオレンジ、それも少し白を加えてやわらかい色調になったもの、
若草色なども好ましい。

コレッて、やはり年のせいデスか?

けれども反対に、年齢が高くなると顔がぼやけるから、
はっきりした色を着るという人もいる。
人それぞれか。

友人が
「年金をもらうようになったらアカンなあ」
と言って笑った。

年金は65歳満額。
60歳で受け取るようにすると、ガクッと金額が減る。

それでも、
「いつ死ぬかわからんのに、サッサともらわな」
との同級生の言葉につられて、私も手続きした。
ナルホド、これっぽっちかというくらいしかない。

そして、前述の友人の言う通り、
年金受け取り手続きをしたちょっと前ごろから、
体力の方はガクッガクッと落ちた。
仕事がバリバリ出来なくなるから、年金で補充するということなのだ。

年金年齢は、
他人との対立を避けたいという気持ちも強くなる。

中間色を好むようになったのは、
ひょっとしてこんなことも関係しているのかしらん、
とさえ考える本日は、肩の凝る日デシタ。

ヒトゴトながら

客の食べ残しを、別の客に出していたという記事には驚いた。
もったいないという気持ちからしたことだ、と言い訳されては
「もったいない」の言葉が嘆くだろう。

常識はずれのもうけ主義ですねェ、と教室で話題になったら、
「どこの店でもやってることで、
ギョーカイではそうすることが常識かもしれませんョ」
と誰かが言う。

けれども、目の前で調理し、
出された料理は全部空になるような、ごく普通の店では、
無理な話だ。

料亭という高級な店では、調理場は見せない。
いわば密室で、姿形を美しく整えられ、
提供される高額な料理のみ、使い回しが可能となる。

さて、常識を外れた人、事、物は、
私達の周りに時として見受けられる。

じゃあ常識ってナニ?と切り込まれると、
『気分も居心地も悪くない状態である』
と答えたらいいだろうか。

非常識を楽しむ時代もあるが、
人生も後半になれば、極力穏やかな中で暮らしたい。
ストレスは回避したい。
と切に願いながらも現実は…
アッチでゴツン、コッチでボコン、
ソレが気になる、アレがステおけない。
アーア、ツカレル、肩がコル。

その上、こんなメチャクチャなニュースを知っては、
身が持たないと嘆いていると、娘曰く
「わが家は料亭へ行かない」
とバッサリ。

ハイ、そうでした。
この件に関しての“不条理”は、
私の身に及んでくるものではないようで…
「行けない」ではなく「行かない」と言い切るわが娘に拍手!
プロフィール

玉麗

  • Author:玉麗
  • 大阪在住の水墨画家。
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