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もうちょっと

浄土真宗は、親鸞上人が開祖。
時代が下り、東本願寺派、西本願寺派、
その他詳しくは調べていないが、各派に分かれた。

興正寺派というのは少数らしいが、
それでも全国となると、何百寺もあることだろう。

その浄土真宗興正寺派本山から、
最高位のお坊さんが円光寺へやってきた。

全国津々浦々の寺を、何年もかけて回っておられるらしい。
総代長を務める兄は、総代衆を集め、
住職と共に恭しくお迎えした。

それは、円光寺に天井画と襖絵が納まってすぐのことで、
みんなは間に合うかどうか、ヒヤヒヤしたとのこと。

『浄土“100人の子供達”』の客間で、大僧正は
「今までまわった寺のどこよりも、ここがいいですね」
と相好を崩されたという。

娘からその話を聞いて、
「ヤッター!」
思わず快哉を口にした。

私が描いた天空の国の様子が、
「浄土」と認められた瞬間といっていいだろうか。
京都の本山へ、お目にかかりに行こうかしらんなどと
本気で思っている。

ここまで書いたときは、すこぶるとはいえないが
調子が良かった。

ところが今日、
朝からフラフラする、頭が重い、気分が悪いと
不調3調子。

ツアーが決定し、今まで娘はよくがんばってくれた。
私も少しがんばった。

しかしそれでもこの体には、こたえたのだろう。
体は使わなくても、
脳ミソをフル回転させていたのかもしれない。

あと5日。
何とか維持しなくては…

旗が出来上がった!

旗を手作りした。

和紙はある。
それも襖絵に使った上等のが。
それを3枚合わせ、花の支柱にホッチキスで止めた。

表に「墨彩画 玉麗会」と墨で書いて、椿の花を一枝。
裏側には、字は同じだが、花は蕾にした。

こんなことをして遊んでいると、
頭が何となく重いのも、耳が塞がった感じがするのも、
忘れてしまう。

今日は休み。
(といっても私はこのところ、ずっと休んでいる)
準備はすべて終わり、娘もほっと一息入れている感じ。

ほんとによくやってくれました、お疲れさま、と
言いたいところだが、ツアーはあさって。
スムーズに予定が進んでくれることを祈っている。
彼女には帰ってからも、アルバム原案作成という
仕事が待っている。

さて、午前中作った旗はまずJR桜ノ宮駅で、
内村君に使ってもらう。

彼は背も高くなかなかのイケメン。
彼が教室に入ってくると、
おばさまたちは一斉に彼の頭を見る。
そしてくちぐちに、「なに~ そのアタマ!」と喜ぶのだ。

時たまスッキリと短くしていることがあるが、
ガジロウ頭(雷が放電しているスタイル)が常で、
ヒゲをたくわえるようになったものの、
人なつっこい笑顔はちっとも変わらない好青年である。

「玉麗会」の旗を持って駅前に立っていたら、
さぞかし目を引くことであろう。

ホットニュース

玉麗墨彩画会よりお知らせです。

12/1に行われた、
徳島県阿波市 円光寺の天井画・襖絵見学ツアーに参加して下さった皆さん、
ありがとうございました。

当日は、徳島新聞さんが取材に来られ、12/3の朝刊に
大きく記事と写真が掲載されました。

同じ記事を、同社のウェブサイトでご覧になれます。
お世話になった方々には、本当に感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございました。

徳島新聞「天井画とふすま絵を阿波市の寺に奉納」↓

http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_119664486451&v=&vm=1

12月1日

十楽寺で法話と昼食を終え、私達の旅が
いよいよクライマックスを迎えようとしていた時、
それまで晴れていた空に突然雲が現われた。

円光寺の後方、山の方から一陣の風が吹き、
にわかに雨が降った。

私が催したツアーであるからして、
「先生 雨女やナァ」
と思った人がいるかもしれない。
なにしろ、寺の手前100m程のところから
雨足強く降り出したのだから。

しかし、余人は知らず。
私と娘のみは察知した。

龍が雨を呼んだ!と。

それは一瞬の出来事で、
イスを出して奉納式に備えていた寺側の衆は、
慌ててそれを片付け、「少し狭いですが全員本堂へどうぞ」
ということになった。

奉納式が終わり、襖絵を見ようと皆が移動した頃、
雨はピタッと止んだのだ。

生徒の1人が言う。
「先生、こっちから見ても、あっちへ行っても、龍と眼が合いますねン」
「そうですか。八方睨みと言いますからねェ」
と答えて天井を見ると、
龍は私を見て、ニヤリと笑った気がした。

通り雨を龍の仕業と看破した人が、1人いた。
バス2号車のガイド嬢である。

「龍は恵の雨を呼ぶといいますから、
きっと皆さんに幸運を運んでくれることでしょう」

この言葉に2号車は、拍手喝采、沸き立ったらしい。

新聞社の取材、撮影、絵の説明、友人達との交歓、
時間はアッという間に過ぎ、気がつけば車の中でグッタリしていた。

帰路、渋滞につかまり、車酔い寸前で目的のホテルに到着。
夕食前にお礼の言葉を言った途端、
緊張の糸がプツン。

会場から我が家まで歩いて行ける距離なのに、
動くことが出来ず、ホテルの従業員と娘に両脇を支えられ、
エレベーターで客室へ行き、そのまま泊まってしまった。

一生に一度の大イベント。
終わってほっとした今、まるで夢か幻のように思える。

徳島新聞に、
『墨彩画で故郷に恩返し』
というタイトルの記事が載った。

12月1日、確かに感動の2時間は存在したのだ。

社中展

長居展が近づいている。
今年で7年目になる。

あれだけの会場を無料で提供してくれる所は、他にない。
大阪市の財政は悪化しているとはいえ、
文化面ではかなり鷹揚であるといえる。

しかし、玉麗会の会員は、八尾・千里方面が多く、
長居へはやはり遠い。

その上、駅からかなり歩かねばならない。
長居公園全体の設計者は、
各施設を、もっと駅の近くに建てるべきであったと、毎回思う。

当初53歳であった私も還暦になり、
このところ体調が安定してくれないぐらいだから、
私よりさらに高齢である会員達にとって、
長居での展覧会はそろそろ負担になってきたようだ。

毎年、忙しい思いをして開催しているので
ふと、やめたら楽だろうナと思ってしまう。

しかし、習い事には発表の場が必要である。

他のクラスの人や講師達の作品を見て、発奮してもらう。
見てくれる人達と交流し、非日常を味わってもらう。
何よりも、作品を人の目に晒すことで、
上達するというプラス面がある。
そして、ひょっとしたら習いたいと申し出てくれる人が
いるかもしれない。

会員は多いと、まとめるのが大変であるが、
何を行うにしても強力であることは、言うまでもない。

華やかで勢いがある会には、生徒達の笑顔が絶えないが
衰退すれば、ただのグチ話の場になってしまう。

やっぱりやめたらアカン!
と主宰玉麗は考えなおしてイマス。

今年の玉麗会展が終わったら、幹部達に集合してもらって
今後の展覧会について、相談することにしよう。


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玉麗

  • Author:玉麗
  • 大阪在住の水墨画家。
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