住まいのこと
改修工事のため、建物はスッポリ網をかけられ、
足場が視界を遮ってうっとうしいこと数ヶ月。
もう少し、あと1ヶ月もすれば、
新築のようなマンションが出現する。(はず)
バルコニーの手すりにプランターをかけ、花をいっぱい植えよう。
下の芝生から見上げたとき
向かいから見渡したとき
お花畑があったら
それは、玉麗サンの家です。
雨のこと
今年はカラ梅雨で、あまり雨が降らない。
「五風十雨(ごふうじゅうう)」と
絵の横に書くことがある。
五日に一度風が吹き
十日に一度雨が降る
太平無事であることを祈る意味の
私の好きな言葉のひとつ。
深夜に音高く雨が降り
翌朝カラッと晴れ上がる。
自然はそんなにうまく事を運んではくれませんね。
あした 会えるよ
「ワァ、きれい!」
娘が思わず言った。
前を見ると、陽の光を受けて、
黄金色に輝くケヤキの葉が、ハラハラと舞い落ちていた。
黒い大木、黄色くなった無数の葉、
忍び寄る冬を前に、身を軽くする準備を怠らない樹々。
立ち止まって上を仰ぐ間も、
止まることなく散り急いでいる。
山里の秋の風情とは又違った趣が、
この辺り一帯にはある。
ケヤキは都会を彩る木だと、つくづく思う。
青い春、芽吹く頃は若々しさの喜びにあふれ、
朱夏には、緑陰深く、暑さをひととき忘れさせてくれる。
玄冬、木立はすっくと背を伸ばし、
寒さにも耐えて、物思いにふけっているように見える。
そして今、白秋の時。
木の葉の散りゆく様は、
春の桜吹雪と比較するのを躊躇うほど、
静寂の中に在る。
又、「セーヌの畔」に来ている。
「大川の畔」ではカッコつかないのかもしれないが、
セーヌ川にヒケはとらないだろうに、と思いつつ、
テラスは少し寒いけれど、私はここが好きだ。
指折り数えてみると、絵を渡してからもう7ヶ月が過ぎた。
あした、花と龍とあの子供達に又、会える。
私にとっては、世紀の瞬間と言っても、
決して大仰ではない。
春本番
久し振りで、北摂の園芸店へ行き、
春の花をいっぱい手に入れた。
昨年、次々に蕾を付けて花を咲かせ、楽しませてくれたゼラニューム。
無難なところでこの花を中心にした。
室内用には、白とクリームの八重咲きマーガレット。
バルコニーを花で飾るのは、心ウキウキする仕事であるが、
まだ蕾がついている花達を抜いて捨てるには、
けっこう決断がいる。
かわいそうやナァと思ってしまっては、美しさを維持出来ない。
新しい花を買ってきたら、エイッと気合いを入れて、
今までの株を抜く。
「それが、花壇を整理するコツなのよ」
と花友達が教えてくれた。
「それと、アレもコレもと欲張って植えないこと」
とも。
下から見上げたり、隣のマンションから見てきれいだナァと、
自分の部屋から眺めてもいいナァと思えるようにするにいは、
やはり色の組み合わせであろう。
紫や濃い紅色は大人っぽいムードにはなるが、遠めには目立たない。
やはり、赤・白・ピンクの濃淡が、一番華やかに見える。
ピンクのペチュニアが垂れ下がって、
花は全員太陽に向いているのも、愛らしい。
夏になれば、ブーゲンビリアを少し手に入れよう。
1ハチあるが、初冬まで咲いてくれて、とてもいい子。
シクラメンの赤と白がまだ咲き続けている。
球根なので、あまり手入れしないで放っておいても、又来年咲く。
寒さに強く、冬の女王と言える。
今日行った花屋さんは、かなり広く種類も多くて、
どれにしようかとウロウロするのも、うれしい悩みだ。
裏の土手にスミレがいっぱい咲いていた。
土筆を捜したが、スギナはあるのに見つからない。
1本だけ、もう長けてしまったのが、寒そうにヒョロと立っていた。
明日は休日、花の植え替えに忙しい。
わが街
春になると、ここに住んで良かったナァと、あらためて思う。
2日前から急に体調が崩れ、
朝、めまいが起きないかとビクビクしていた。
今朝も娘に「休む?」と言ってもらって、
どうしようか迷いつつ教室へ。
帰宅すると、やはり立っていられない。
遊んでと騒ぐ風太をなだめながら、ソファに横になる。
そのまま1時間半ぐっすり眠ってしまった。
めまいは目覚めた時やってくる。
恐る恐る起き上がると…
アレッ!
何かスッキリしている。
そうだ、風太クン お花見に行こうか。
しばらく歩くと、桜並木。
右へ行けば、毛馬の水門、左へ歩けば帝国ホテルへの道。
どちらへ行っても、
大川の両岸にうすくれないの花霞が続く。
日本人の桜好きは、一体いつに始まったのだろう。
公園は、どこへ行っても1本や2本桜の大木がある。
八尾に住んでいた時も、川沿いに美しい花吹雪が見られたが、
ここに来て15年、
年経る毎に、桜に愛しさを感じるようになってきた。
大阪は、水辺の整備を進めている。
平成の通り抜け計画のため、桜の並木が植えられつつある。
大川から中の島に続く川端は、
よりいっそうきれいになることだろう。
初夏は、新緑の、
初冬には、葉を落とした木立の、
それぞれ感動的な様を見ながら、散策を楽しめる。
春はことさらに、華やぎを見せてくれる。
この道が、この公園が、まるでわが庭のように
近くにあるしあわせ。
“桜の精が住んでいるので、『桜ノ宮』という名がついた”
というのは、玉麗のお伽話です。
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